日本のフラメンコ界の草分け、第一人者である踊り手の本間三郎と、日本屈指のパリージョ(カスタネット)奏者でもある踊り手の本間牧子の長女として誕生。
20歳を過ぎてから少しずつフラメンコを習い始める。
両親、関口華恵、小島裕子に師事。
数度の短期スペイン留学を経験ののち、2007年より2年間、初の長期スペイン留学。その大半をグラナダ・アルバイシン地区で過ごす。
ハビエル・マルトス、ルイス・デ・ルイス、パトリシア・グェレロ、エステル・マリン等、主にグラナダの踊り手に師事、その土地に根付いた踊りを享受、大きく影響を受ける。
滞在期間中の2008年、グラナダ・アルミージャにて、ルイス・デ・ルイス、エステル・マリン等と共にライブ出演。
帰国後の2010年、日本フラメンコ協会新人公演にて、奨励賞を受賞。
現在、都内を中心に随時ライブ出演中。都内、東京近郊、盛岡にて講師活動中。
幼い頃は人一倍甘えん坊。幼稚園の運動会のかけっこで、「位置について」「ヨーイ」「ドン」の「ドン」の瞬間に「ママー」とトラックではなくママのもとへ一目散へ駆けて行った話は有名。
両親揃って「フラメンコ舞踊家」という職業のため、やや特殊な環境の中で生まれ育つ。
当時はフラメンコスタジオがまだ数少なく希少だった為、自宅にスタジオを構える本間家は自然と日本フラメンコ界の溜り場に。そして毎晩の様に朝まで宴会(スペインで言うフェスタ) 。酔っぱらいの大人達を常に間近で見て育ち、自然とフラメンコ嫌いに。
小学生の時、授業で母の日の手紙を書くことに。日頃の感謝の思いを込めて、渾身の執筆。教室内に張り出された中、一人だけやや異質な切実なメッセージ。
「お母さん いつもありがとう。…(中略)…夜中の2時までには寝てね。」
子供の頃から絵と字が得意。小3でペン習字ニ段取得。
子供の頃から脚力に恵まれ、走り幅跳び等成績優秀。
足は特別速くはなかったものの、50mハードル走を障害物をものともせずにただの50m走と同タイムを記録、男子陣をも凌いでクラス全体のベストタイムに躍り出る。
体育のサッカーの授業では、技術ゼロだがひとたびボールに当たった際のキック力のみを買われ、男子陣に肩を並べ一度はキャプテンに推薦されたりする。(もちろん落選)
17歳の時、ダイビングを始める。PADIのアドバンス取得。
その頃のバイト代はすべてダイビングに。インストラクターも夢見たが、海に潜る以前のドライスーツの着脱が人一倍苦手で長続きせず。学業の忙しさも重なり20歳頃、フェイドアウト。
しかし今でも、海好き、シュノーケリング好き、魚好き、貝好き、貝拾い好き、波の音好き、人魚好きは変わらず。
国内外問わず旅好き。特に南の島や歴史ある古都が大好き。
一番多く訪れたのは沖縄。海だけでなく全て好き。一番忘れられないのは宮古島。
シーレとクリムトが好きで訪れたウィーンもかなりお気に入り。
この先も一つでも多くの土地や国を訪れ、また、フラメンコで日本全国訪れるのが目標。
子供時代、様々な動物と共に過ごす。動物好き。特にネコが常にいる家で育ち、家族として共に暮らす。
2005年、ひょんなことから、ヘソの緒付きの生まれたての黒ネコ(まだネコに見えない生命体)の赤ちゃんを一から育てる羽目に。これがまた一大事。寝食を忘れ、朝昼晩子育てに夢中になる。やがて黒く賢く美しい、それは立派な大人の女性に。
子供の頃から野球を見るのが大好き。千葉ロッテマリーンズの大ファン。
また毎年真夏は、高校野球にプロ野球と朝から晩まで心を奪われ、人知れず大忙し。
野球選手は皆、ヒーロー。中でも千葉ロッテマリーンズの選手達は、最高級のヒーロー。
幕張にある本拠地のQVCマリンフィールドは、お隣の東京ディズニーランドを凌ぐ、ヒーロー達の集う夢の国。
いつの日か夢の国の始球式で投げるのが夢。
秦基博の大ファン。彼の生み出す数々の名曲はもちろん、さらに世界中の名曲を全部彼の歌声でカバー出来たら夢の様。あの歌声の様に踊りたい。
好きな映画は、「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」。
好きな有名人は、佐々木蔵之介さん、ゴールデンボンバーの樽美酒研二さん、EXILEの皆さん。
好きな言葉は、「遊び心」。
今までに出会った絶景は
宮古島の八重干瀬、
グラナダのアルバイシン~サクロモンテとアルハムブラ宮殿、
伊豆沖の月夜のナイトダイビング。
何でも美味しく食べます、飲みます。
歯が丈夫です。特に固い物を食べた時に人一倍大きな音が響き渡り、美味しそうに食べるとよく褒められるので、自慢しておきます。
1977年3月1日、東京・中野区生まれ、魚座、巳年。